自分が生きている現代から過去へ遡って、地元の三原から世界へ視野を広げて、歴史を見ていこうという企画!
第4弾は明治時代(1911→1868年)43年間を遡ります!
侍の時代が終わり日本の近代化が始まった時代です!
注)時系列で見たい人は下から上へスクロール!
\第3弾の昭和初期・大正編はコチラ↓/

明治後半(1911~1890年)




1911年(明治44年)
三原と周辺
■三原に電灯が灯る
三原に初めて電灯が灯った。発電所は古浜新開にあった。
広島県
■可部線(横川~可部)開通
広島市西区の横川駅から可部駅までを結ぶ可部軽便鉄道(後の可部線)が開通し、可部駅が開業した。延長約11km、のち国鉄に編入された路線は、太田川沿いを進み、広島市北部への交通利便性を格段に向上させた。
日本
■関税自主権の回復
日本はアメリカとの新通商航海条約を締結し、長年失っていた関税自主権を完全に回復した。これにより、日本は自国の判断で輸入品に関税をかける権利を取り戻し、経済的独立への大きな一歩となった。明治初期の不平等条約の改正がついに完了し、列強と対等な国際関係を築く基盤が整った。
■九州大学開学
九州帝国大学(現・九州大学)が福岡市に設立され、日本で4番目の帝国大学となった。母体は1903年に開設された福岡医科大学で、初めは医学部のみでスタート。九州地域の高等教育と医学研究の中心として発展し、のちに工学部や法文学部なども加わった。
情報九州大学
■所沢に日本初の空港開設
埼玉県所沢に日本初の飛行場「所沢飛行場」が開設された。大日本帝国陸軍によって建設され、同年には日本人技師による国産飛行機の初飛行も成功。ここは日本の航空発祥の地とされ、軍事・民間両面の航空技術の発展に大きく寄与した。現在も航空記念公園や所沢航空発祥記念館がその歴史を伝えている。
1910年(明治43年)
広島県
■常設映画館誕生
広島に初の常設映画館が誕生した。
世界
■韓国併合
日本は「韓国併合ニ関スル条約」により、大韓帝国(当時の韓国)を正式に併合し、朝鮮総督府を設置して統治を始めた。これは1905年の保護国化(第二次日韓協約)に続くもので、韓国側の反発も大きく、以後の独立運動の火種となった。日本の統治は1945年の終戦まで35年間続く。
1909年(明治42年)
三原と周辺
■三原女子師範学校開校
三原市に「広島県三原女子師範学校」(現、広島大学付属三原幼・小・中学校)が開校した。広島県広島師範学校の女子部が改編され、三原市に独立校として移設されたもの。1911年には附属小学校、1913年には付属幼稚園も設置される。
情報広島大学付属三原幼・小・中学校
広島県
■呉に路面電車開業
呉市で「呉電気鉄道」による路面電車が開業した。これは広島県内初、中国地方でも岩国に次いで2番目の導入であり、本通9丁目から川原石までの11.2kmを結んだ。当時、旧海軍工廠に向かう工員輸送などに活用され、呉の近代都市化と住民の足の重要な役割を果たした。
1908年(明治41年)
世界
■ロンドンオリンピック
イギリス・ロンドンで第4回近代オリンピックが開催された。当初はローマでの開催予定だったが、火山噴火の影響でロンドンに変更。22か国から約2,000人が参加し、公式な競技場や入場行進、国別メダル集計などが初めて導入された。競技の標準化が進み、近代オリンピックの形が整っていった大会である。
情報国際オリンピック教会
1907年(明治40年)
日本
■東北大学開学
東北帝国大学(現・東北大学)が日本で3番目の帝国大学として仙台に設立。初めは農科大学としてスタートし、後に理学部や医学部などが加わった。学問の自由と研究重視を理念とし、1913年には女性の入学も認めるなど先進的な姿勢で知られた。東北地方における高等教育と学術研究の拠点として発展していく。
情報東北大学
世界
■三国協商
イギリス・フランス・ロシアの三国が対ドイツを意識して「三国協商」という協力体制を締結。これは、英仏協商(1904年)、英露協商(1907年)、仏露同盟(1891年)を通じて形成された事実上の勢力圏分割の枠組みで、ドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟と対立。第一次世界大戦前の国際緊張を高める要因となる。
1906年(明治39年)
広島県
■もみじ饅頭誕生
宮島の和菓子職人・高津常助が「紅葉形焼饅頭」を考案し、これが「もみじ饅頭」として広まった。厳島神社の紅葉谷にちなみ、もみじの形が名物として人気を博した。初代はこしあん入りのみで、後に「もみじ饅頭」として商標登録され、宮島土産として定着していった。現在では広島を代表する銘菓となっている。
情報26種類を徹底比較!あなたにピッタリのもみじ饅頭は?
日本
■坊ちゃん(夏目漱石)
夏目漱石の代表作『坊っちゃん』が発表された。舞台は愛媛県松山市で、正義感の強い主人公が地方中学の教師として奮闘する姿をユーモアを交えて描いた作品である。漱石自身の松山での教師経験が反映されており、登場人物の「山嵐」や「赤シャツ」などのあだ名も親しまれている。明治期の学校文化や人間関係が生き生きと描かれた名作。
1905年(明治38年)
三原と周辺
■千光寺公園完成
尾道・千光寺山の寺領「共楽園」が1894年に整備され、尾道市に寄贈された後、1905年に「千光寺公園」として完成した。展望や桜、文学碑を配した庭園で、以後、市民の憩いと観光の場として親しまれている。
日本
■日露戦争終結(ポーツマス条約締結)
アメリカ・ポーツマスで日本とロシアの間に講和条約が結ばれ、日露戦争が終結。日本は近代化された軍隊と優れた戦略で主に海戦や要塞戦で成果を挙げ、ロシア国内の革命運動や戦費負担も重なり、ロシアは講和を選んだ。これにより、日本はロシアに韓国での優越権や南樺太、南満州鉄道の権益を認めさせた。ただし賠償金は得られず、国内では不満が広がった一方、日本は国際社会での地位を大きく高めた。
1904年(明治37年)
広島県
■西條鶴醸造創業
西條鶴醸造は、東広島市西条で伊野本市松が創業した。社名は地名「西條」と吉祥の「鶴」を組み合わせ、創業当初から名水「天保井水」と地元産米、広島杜氏による伝統的な手造り製法にこだわってきた。蔵や母屋が明治中期の木造建築のまま国登録有形文化財に指定されており、現在も味わいと風景を守り続けている。
情報西條鶴醸造
日本
■日露戦争勃発
日本とロシアの間で朝鮮半島と満州をめぐる対立が激化し、日露戦争が始まる。日本は朝鮮の独立と安全を守ろうとしたが、ロシアは満州に軍を駐留させ、交渉でも強硬姿勢を崩さなかった。和平交渉が決裂したため、日本は旅順港のロシア艦隊を奇襲し開戦。日英同盟を背景に、日本は戦争を優位に進めていく。
■日本橋に日本初の百貨店開業
東京・日本橋に三井呉服店が「三越呉服店」として改称・改装され、日本初の百貨店として営業を開始した。店内にはエレベーターやショーウィンドウが設けられ、値札付きの「正札販売」や返品制度など、近代的なサービスを導入。これまでの対面販売とは異なるスタイルで、都市の消費文化に大きな影響を与えた。
世界
■セントルイスオリンピック
アメリカ・セントルイスで第3回近代オリンピックが開催された。当初はシカゴ開催予定だったが、万国博覧会に合わせて変更された。開催期間は約5か月と長く、参加国も少なかったため注目度は低かったが、ボクシングやフリースタイルレスリングが初採用された。日本はまだ参加していない。
情報国際オリンピック委員会
1903年(明治36年)
広島県
■呉線開業・呉駅開業
呉市に官設鉄道の終着駅として「呉駅」が開業した。呉鎮守府・海軍工廠との連携強化を背景に、地元では開業を祝う盛大な式典と人々の見物で賑わった。呉駅の開設により、呉と広島や神戸を結ぶ交通網が整い、軍港都市呉の発展を支える重要なインフラとなった。山陽本線の補完路線としても後に評価されている
世界
■ライト兄弟 初飛行
アメリカのライト兄弟がノースカロライナ州キティホークで、人類初の動力飛行に成功した。飛行機「フライヤー号」は、エンジンとプロペラを備え、オーヴィル・ライトの操縦で12秒間・約36メートルを飛行。これは実用的な飛行機の始まりとされ、航空時代の幕開けとなった。
1902年(明治35年)
広島県
■呉市誕生
安芸郡和庄町・宮原村・荘山田村・二川町が対等合併し「呉市」となり、県内3番目の市となった。1889年から海軍鎮守府や海軍工廠が整備された呉湾は、すでに軍港都市としての機能を持っており、市制施行により正式な都市としての自治や行政基盤が整備された。
日本
■日英同盟
日本とイギリスはロシアの南下政策に対抗するための軍事的協力を定めた条約・日英同盟を締結。どちらかが他国と戦争になった場合、もう一方が中立を守ること、複数国と戦う場合は共同で参戦することが定められた。日本にとっては国際的地位を高め、のちの日露戦争にも大きな影響を与える。
1901年(明治34年)
広島県
■山陽鉄道(現 山陽本線)全線開通
山陽鉄道(現・JR山陽本線)が神戸〜下関間を全線開通。約530kmに及ぶこの鉄道網の完成は、日本西部から九州への陸路交通を格段に向上させ、当時の民間私鉄では全国でも屈指の長距離路線となった。食堂車や寝台車の導入など革新的なサービスが行われ、日本の鉄道文化の先駆けとなる。
日本
■八幡製鉄所操業
現北九州市に官営の八幡製鉄所が操業を開始。日清戦争の賠償金を財源に建設され、日本の近代製鉄業の中核として発展。原料には中国の鉄鉱石、燃料には筑豊の石炭が使われた。高品質な鋼材を大量生産できるようになり、軍需や産業の発展を支え、日本の重工業化を象徴する存在となった。
1900年(明治33年)
三原と周辺
■糸崎港開港
糸崎港が「特別貿易港」として開港され、神戸税関糸崎支署と広島逓信省海軍部が設置された。静穏な瀬戸内海の良港を活かし、工業製品や農産物の輸出拠点となり、以降、地域経済と物流の発展に大きく寄与する。
世界
■義和団事件
中国で外国勢力やキリスト教に反発する民衆運動「義和団事件」が発生。義和団と呼ばれる民間武装集団が「扶清滅洋(清を助けて外国を排除)」を掲げて各地で暴動を起こし、北京の各国公使館を包囲。清朝もこれを支援したため、日本を含む8か国が連合軍を結成し鎮圧に乗り出した。事件後、中国はさらに列強の干渉を受けることになった。
■パリオリンピック
フランス・パリで第2回近代オリンピックが開催された。万国博覧会と同時開催されたため注目度は低く、会期も5か月にわたる異例の形となった。26か国から約1,200人が参加し、初めて女性選手も出場。テニスやゴルフなどが実施され、種目数も大幅に増加。日本はまだ参加していない。
情報国際オリンピック委員会
1898年(明治31年)
三原と周辺
■尾道市誕生
御調郡尾道町は県内で広島市に次ぐ2番目の市制を施行し、「尾道市」として誕生した。尾道は古くから瀬戸内海の要衝として商港・交通の拠点であったが、鉄道や市政整備を経て都市としての自立を果たした。開設当時の市域は約4.1 km²、人口2万1,792人だった。
広島県
■大長でレモン栽培始まる
大崎下島の大長において日本で初めてレモン栽培が始まった。和歌山からネーブルとともに届いた苗の中にレモンが混入しており、地元農家が試験的に植えたのが契機。温暖な気候が栽培に適していたため、やがて瀬戸内の島々へ広がりを見せ、現在、広島県は国産レモンの生産に日本一となっている。
1897年(明治30年)
日本
■京都大学開学
日本で2番目の帝国大学として京都帝国大学(現・京都大学)が開学。設立当初は理工科のみで、キャンパスは京都市左京区の吉田に置かれた。東京一極集中を避け、関西に学問の拠点を築くことが目的だった。自由な学風を重んじる校風はその後も引き継がれ、現在も日本を代表する研究大学として知られている。
情報京都大学
1896年(明治29年)
日本
■神戸で日本初の映画上映
神戸の神港倶楽部でエジソンが発明した活動写真装置「キネトスコープ」による日本初の映画上映が行われた。これが日本における映画の始まりとされ、後にこの上映開始日にちなみ12月1日が「映画の日」と定められた。
世界
■アテネオリンピック
ギリシャのアテネで第1回近代オリンピックが開催された。フランスのクーベルタン男爵の提唱により、古代オリンピアの精神を受け継ぐ形で復活。14か国から約240人の男性選手が参加し、陸上、水泳、体操など10競技が行われた。日本はまだ参加していないが、これが現在のオリンピックの起点となった。
情報日本オリンピック委員会
1895年(明治28年)
日本
■日清戦争終結(下関条約締結)
日本と清は日清戦争の講和条約として「下関条約」を締結し、戦争は終結した。条約により清は朝鮮の独立を認め、遼東半島・台湾・澎湖諸島を日本に割譲し、2億両の賠償金を支払うことになった。日本は初めて列強と対等に講和を結び、国際的地位を高めたが、直後に三国干渉で遼東半島を返還させられた。
■三国干渉
日清戦争後の下関条約で日本が獲得した遼東半島に対し、ロシア・ドイツ・フランスの三国が清への返還を要求する「三国干渉」が起きた。日本は軍事的対応が困難と判断し、やむなく遼東半島を清に返還した。これにより日本国内では列強への強い反発と屈辱感が広がり、後の対外強硬路線の一因となる。
■京都で日本初の路面電車開業
京都で日本初の路面電車が七条駅(現・JR京都駅付近)〜伏見間に開業。運営は京都電気鉄道で、米国製の電動車両を使い、車内には白熱灯も備えられた。当時は馬車が主流だったため、電車の静かな走行音やスピードに多くの市民が驚いた。
情報京都市電物語
世界
■台湾を日本が統治
日清戦争の講和条約である下関条約により、清は台湾と澎湖諸島を日本に割譲した。これにより、日本は台湾を初の植民地として統治することになった。初期は現地の反発も強く、武力鎮圧が行われたが、以後は鉄道や学校、医療制度などのインフラ整備が進められた。日本の台湾統治は1945年まで続いた。
1894年(明治27年)
三原と周辺
■三原駅開業
6月10日、山陽鉄道が糸崎駅から広島駅まで延伸すると同時に、三原城跡地に「三原駅」が開業。当時は旅客・貨物の取り扱いも開始され、城下町の中心に鉄道が通ることになった。
■本郷駅開業
6月10日、山陽鉄道の駅として「本郷駅」が開業。

広島県
■広島駅開業
6月10日、市街中心部から距離がある南区松原町に「広島駅」が開業。山陽鉄道の福山・糸崎方面からの延伸開業により、当初は終着駅として旅客・貨物の取り扱いを開始した。駅は軍事拠点であった宇品港と連携し、日清戦争の際には輸送基地として重要な役割を果たす。
■大本営設置
日清戦争中の9月15日、広島城内に「広島大本営」が設置された。これは当時の戦争指揮本部であり、明治天皇が移り住んで前線に近い場所から軍を統率した。広島は一時的に「臨時首都」としての役割を果たし、第7回帝国議会も広島で開催された。大本営は1896年に解散されるまで広島の軍政拠点となる。
情報Wikipedia
■西条駅開業
山陽鉄道の三原-広島間延伸に伴い「西条駅」が開業。開業当初は旅客・貨物の取扱いが行われ、地元の酒蔵街への物資輸送にも重要な役割を果たした。
日本
■日清戦争勃発
朝鮮で農民の反乱(甲午農民戦争)が起き、朝鮮政府は宗主国である清に援軍を要請した。これに対し日本も、天津条約に基づき自国の安全確保を名目に朝鮮へ出兵した。内乱は早期に鎮圧されたが、日本は撤兵せず朝鮮王宮を占拠し、清の影響を排除しようとした。朝鮮の主導権をめぐって日清両国は対立を深め、ついに武力衝突に発展。日清戦争が正式に勃発した。
■道後温泉本館完成
愛媛県松山市にある道後温泉本館が現在の姿で新築・完成。木造3階建ての壮麗な建築で、近代公共浴場の先駆けとして多くの人に親しまれた。神の湯や皇族専用の又新殿(ゆうしんでん)などを備え、夏目漱石の小説『坊っちゃん』にも登場。道後温泉は日本最古の温泉とも言われ、明治期の観光文化を象徴する存在となった。
情報道後温泉

1893年(明治26年)
世界
■ニュージーランドで世界初の女性参政権が認められる
ニュージーランドで世界で初めて国政選挙における女性の参政権が認められた。女性たちの粘り強い署名活動と運動により法案が可決され、21歳以上の女性が議会選挙で投票できるようになった。この改革は世界の女性参政権運動に大きな影響を与えた。なお、日本で女性に参政権が認められたのは、その52年後の1945年である。
1892年(明治25年)
三原と周辺
■糸崎駅開業
7月20日、糸崎駅は「三原駅」として山陽鉄道の尾道駅からの延伸で終着駅として開業。1894年に広島まで線路が延び、三原中心部へ新たに駅ができることで「糸崎駅」に改称される。開業時には重要な機関区が設けられ、利用者のわりに重要拠点となる。

1891年(明治24年)
三原と周辺
■福山駅開業
9月11日、山陽鉄道が笠岡から福山まで延伸し、福山駅が暫定終着駅として開業した。当時、駅は福山城三之丸南側の旧堀を埋め立てて設置され、その位置は城跡に非常に近かった。旅客・貨物の取り扱いが始まり、わずか2か月後の11月3日には尾道まで路線が伸び、福山駅は中継駅として備後地域の交通と物流の要所に成長していく。
■尾道駅開業
11月3日、山陽鉄道が福山から延伸し、「尾道駅」が暫定終着駅として開業。旅客・貨物の取り扱いが始まり、蒸気機関車の到来は尾道の「鉄道時代」の幕開けを象徴した。翌1892年には三原延伸で途中駅となる。
1890年(明治23年)
日本
■国会開設
日本で初めての国会である「帝国議会」が開設された。これは前年に発布された大日本帝国憲法に基づき設けられたもので、立法機関として政治に国民の意見を取り入れる仕組みだった。議会は、皇族や華族などからなる貴族院と、制限選挙で選ばれた衆議院の二院制で構成された。
比較項目 | 当時の帝国議会 | 現在の国会 |
---|---|---|
憲法 | 大日本帝国憲法 | 日本国憲法 |
主権者 | 天皇 | 国民 |
選挙 | 一部の男性だけ(制限選挙) | 国民全員(満18歳以上) |
議院 | 衆議院+貴族院 | 衆議院+参議院 |
権限 | 限られていた | 最も強い立法機関 |
総理大臣の選出 | 天皇が任命 | 国会が選ぶ |
■電話サービス開始(東京~横浜間)
日本で初めての電話サービスが東京と横浜の間で始まった。通話には交換手を通して相手につないでもらう必要があり、まだ一般には広まっておらず、加入者は東京で155人、横浜で42人ほどだった。それでも、声が電線を通じて遠くまで届くという技術は当時の人々にとって大きな驚きだった。
世界
■アメリカでフロンティア消滅
アメリカ国勢調査局は「フロンティア(開拓前線)はもはや存在しない」と宣言した。これにより、アメリカ大陸に未開拓とされる土地がほぼなくなったことが公式に示された。フロンティアの消滅は、西部開拓の終わりを意味し、アメリカの国土拡大と精神的基盤に大きな転換点をもたらした。
三原と周辺では、鉄道駅の開業や港の整備により交通と物流の拠点として発展し、教育機関や電灯の設置など都市基盤も整備された。
広島県では、鉄道や電車の開業、もみじ饅頭の誕生など交通と文化の近代化が進展。尾道、呉の市制施行、映画館の誕生もあり、都市化が本格化した。酒造業も盛んになり、地域経済の多様化が進んだ時期。
日本全体では、日清・日露戦争を経て列強と対等な国際地位を獲得し、植民地支配も進展。鉄鋼・交通・教育など近代国家としての基盤整備が加速し、国民国家としての姿が形づくられた。帝国大学の設立も特徴。
世界では、列強間の対立が深まり三国協商など戦争前夜の構図が形成される一方、オリンピックの復活や女性参政権の成立など市民社会の変化も進行。義和団事件などアジアの国際秩序再編も目立つ激動の時代だった。
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明治前半(1889~1868年)




1889年(明治22年)
広島県
■広島市誕生
行政制度改革により広島市が正式に「市」に昇格され、総人口は約8万3千人であった。城下町として発展してきた広島は、都市機能や行政の近代化を進める拠点としての地位を確立し、その後の軍港・産業都市への成長にもつながっていく。
■宇品港完成
それまで遠浅で大型船が接岸できなかった広島湾に「宇品港」(現在の広島港)が完成。オランダ人技師の設計と人工石工法を活用し、干拓と堤防築造を経て11月に竣工。日清戦争や日露戦争では陸軍の輸送拠点として全国的な役割を果たし、広島の軍港都市化を促進した港となる。
■呉鎮守府開庁
呉に大日本帝国海軍の「呉鎮守府」が開庁。山と島に囲まれ波静かな呉湾が防衛拠点に最適と判断され、鎮守府は全国4か所の一つに。翌年4月21日には明治天皇臨席のもと開庁式が挙行され、以降、呉は日本有数の軍港都市へと発展していく。
日本
■大日本国帝国憲法の発布
日本で初めての憲法「大日本帝国憲法」が発布。これは、国のしくみや決まりごとをまとめたもので、天皇が国の中心であることが定められた。国民にも一部の権利が認められ、政治を話し合う帝国議会もつくられた。ヨーロッパの憲法を参考にしてつくられ、日本が近代的な国家へと進む大きな一歩となった。
大日本帝国憲法 | 日本国憲法 | |
---|---|---|
主権(国の中心) | 天皇がすべての権力を持つ | 国民が主役(国民主権) |
権利・自由 | 天皇から「与えられる」もの | 国民が「持っている」当然の権利 |
軍隊 | 天皇直属の軍(統帥権あり) | 戦争放棄・軍なし(自衛隊のみ) |
法律を決める | 天皇が最終決定する | 国会が中心(国民の代表が話し合う) |
天皇の立場 | 政治の最高権力者(神聖不可侵) | 象徴的存在(政治には関わらない) |
世界
■エッフェル塔完成
フランス革命100周年を記念してパリで開催された万国博覧会のシンボルとして、エッフェル塔が完成した。設計は技師ギュスターヴ・エッフェルによるもので、高さ約300メートルの鉄塔は当時世界一の高さを誇った。当初は賛否両論あったが、今ではパリを代表する観光名所として世界的に知られている。
1886年(明治19年)
広島県
■広島合資ミルク会社創業(後のチチヤス)
現在のチチヤスのルーツとなる広島合資ミルク会社は、1886年(明治19年)6月に野村保が広島市広瀬町で創業した。創業者は判事を辞して、慈悲の心をもって「病人や乳児のために牛乳を」との信念から事業を開始。当初6頭の乳牛で牧場を経営し、広島に牛乳文化を広める先駆けとなる。
情報チチヤス
日本
■日本初の電力会社「東京電燈」創業(現 東京電力)
日本で初めての電力会社「東京電燈」が設立。中心となったのは実業家・藤岡市助で、翌年には東京・銀座で街灯をともす送電が始まった。夜の街が電気で照らされる光景は多くの人に驚きを与え、文明開化を実感させる出来事となった。
世界
■自由の女神完成
アメリカ・ニューヨーク港に自由の女神像が完成し、フランスからアメリカへの独立100周年を祝う贈り物として公開された。設計はフランスの彫刻家バルトルディ、内部構造はエッフェル塔の設計者エッフェルが担当。高さ約93メートルの像は自由と民主主義の象徴として、多くの移民を迎える「希望の灯」となった。
1885年(明治18年)
広島県
■ハワイへの移民始まる
日本政府がハワイ王国と結んだ官約移民制度に基づき、大規模な出稼ぎが始まった。第1便では約944人が渡航し、県による積極募集で広島県からは約222人が参加。1900年ごろまでに、ハワイへ移住した日本人は約29,000人、そのうち広島県出身者は38%を占める約11,000人に上った。彼らは砂糖プランテーションで働き、多くがやがて家族を呼び寄せるなど、ハワイの日系社会形成に大きく貢献する。
日本
■内閣制度創設
明治政府は太政官制を廃止し、近代的な政治体制として内閣制度を創設した。これにより、国政の最高機関として内閣が設置され、初代内閣総理大臣には伊藤博文が就任。各省の長官(大臣)を統括する首相の地位が明確化され、立憲政治の実現に向けた重要な一歩となった。この制度は現在の日本の内閣制度の原型である。
1884年(明治17年)
世界
■ベルリン会議 (アフリカ分割)
ドイツのビスマルクの提唱でベルリン会議が開かれ、列強によるアフリカ分割の原則が話し合われた。イギリスは南部や東部、フランスは西部、ドイツは南西部や東部、ベルギーはコンゴ盆地などを獲得。会議では「実効支配」を領有の条件とし、地理や民族を無視した直線的な国境線が多く引かれた。これによりアフリカの植民地化が一気に進んだ。
情報世界の歴史まっぷ
1882年(明治15年)
日本
■上野動物園開園
日本初の本格的な動物園として上野動物園が東京・上野公園に開園。博物館に附属する施設として設立され、当初は猿や鳥など約30種の動物を展示。西洋の教育文化を取り入れたもので、国民への啓蒙や娯楽の場となった。1972年には日中国交正常化を記念してジャイアントパンダが来園し、国民的な人気を集める。
情報上野動物園の歴史
世界
■三国同盟
ドイツ・オーストリア=ハンガリー帝国・イタリアの三国が軍事同盟を結び、「三国同盟」が成立した。これはフランスの動きに対抗するための防衛的な枠組みで、いずれかが他国から攻撃を受けた場合に相互支援することを定めた。ドイツのビスマルク主導で締結され、ヨーロッパの国際関係を二極化させる要因となった。
■サグラダファミリア着工
スペイン・バルセロナでカトリック教会「サグラダ・ファミリア」の建設が始まった。最初は別の建築家によって着工されたが、翌年からアントニ・ガウディが引き継ぎ、独創的な設計で知られる未完の大聖堂となった。自然や信仰をモチーフにしたデザインは世界的に高く評価され、現在も建設が続いている。
1879年(明治12年)
三原と周辺
■福山中学校開校(現 福山誠之館高校)
福山に「広島県福山中学校」(旧制中学)が開校。これは藩校「誠之館」の後を受け継ぐ新たな中等教育機関として設立され、1887年には「尋常中学福山誠之館」と改称される。後に「福山誠之館高等学校」として継続し、現在まで約145年の歴史を持つ進学校として知られる。
情報福山誠之館高校
日本
■沖縄県設置(琉球処分)
明治政府は琉球藩を廃止し、沖縄県を設置した。これにより琉球王国は正式に日本に編入され、独立した王国としての地位を失った。これを「琉球処分」と呼ぶ。中国(清)との朝貢関係を持っていた琉球は独自の文化と外交を保っていたが、日本の中央集権化政策の一環として統合が進められた。琉球王・尚泰は東京に移され、華族に編入された。
1878年(明治11年)
三原と周辺
■第六十六国立銀行創業(後の広島銀行)
尾道に県内初の銀行として「第六十六国立銀行」が設立され、翌年4月に本店が開業された。地元の豪商たちが資本を出し、資本金18万円でスタート。当初は尾道・広島・福山に支店を持ち、地域経済の近代化を支える原動力となった。後に第六十六銀行へ転換され、さらに1920年には他行と合併して藝備銀行、後の広島銀行へと発展する。
日本
■札幌時計台完成
北海道開拓の拠点である札幌に、札幌農学校の演武場として札幌時計台が完成した。アメリカ人教官クラーク博士の建議により建設され、木造洋風建築と大時計が特徴。時計はボストン製で、現在も手巻きで動き続けている。後に移築され、札幌のシンボルとして親しまれる歴史的建造物となる。
情報札幌時計台
1877年(明治10年)
日本
■西南戦争
鹿児島の士族・西郷隆盛を中心に不平士族が明治政府に反発し、西南戦争が始まった。廃刀令や徴兵制に不満を持つ士族たちは、政府の九州の拠点である熊本鎮台を攻略しようと熊本城を攻撃した。各地で激戦が続いたが、政府軍の近代的装備と物量に圧倒され、同年9月、鹿児島の城山で西郷は自刃し、戦争は終結した。これが最後の士族反乱となった。
■東京大学開学
東京開成学校と東京医学校が統合され、東京・本郷に日本初の近代的な総合大学として東京大学が設立された。法学・理学・文学・医学の4学部を備え、西洋の学問を導入し、近代国家を担う人材の育成を目指した。授業は英語で行われ、外国人教師も多かった。
情報東京大学
世界
■エジソンが蓄音機発明
アメリカの発明家トーマス・エジソンが世界初の蓄音機を発明。これは音声を記録し、再生することができる画期的な装置で、スズ箔を巻いた円筒に音の振動を針で刻み込む仕組みだった。最初に録音された言葉は「メリーさんのひつじ」とされる。この発明は音楽や音声記録の歴史に大きな転機をもたらした。
1876年(明治9年)
三原と周辺
■福山が広島県となる
福山など備後地方東部の6郡が広島県に移管され、現在の広島県の県域が確定した。福山は、福山県→深津県(1871年)→小田県(1872年)→岡山県(1875年)→広島県(1876年)へと変化。
日本
■日朝修好条規締結
日本は朝鮮との間で「日朝修好条規(江華条約)」を締結。これは、日本が軍艦を派遣して圧力をかけたうえで結ばれた不平等条約で、朝鮮に対し釜山など3港の開港や治外法権の承認を求めたものだった。これにより日本は朝鮮への影響力を強め、朝鮮の鎖国体制は終わりを迎えた。
世界
■ベルが電話機発明
アメリカの発明家アレクサンダー・グラハム・ベルが、音声を電気信号に変えて伝える世界初の実用的な電話機を発明した。彼は「Mr. Watson, come here, I want to see you」という最初の音声通信に成功し、同年に特許を取得。この発明は人々のコミュニケーションのあり方を大きく変え、現代の通信技術の出発点となる。
1875年(明治8年)
日本
■文明開化(~1877年)
この頃、明治政府は西洋文化を積極的に導入する「文明開化」を推進。鉄道・郵便・ガス灯・洋服・洋食などが都市を中心に広まり、人々の暮らしや価値観が大きく変化した。一方で伝統との衝突や混乱も生じたが、近代国家としての基盤を築くうえで重要な文化的転換期となった。
文明開化の象徴「銀座煉瓦街」の誕生
明治初期、文明開化の波は東京・銀座の街並みにも大きな変化をもたらした。特に注目されたのが、1872年の大火後に始まった「銀座煉瓦街」の整備。明治政府は防火と都市の近代化を目的に、西洋風の煉瓦造りの建物や広い道路、街路樹を整備し、銀座を“西洋の街”に生まれ変わらせようとした。
英国人建築技師トーマス・ウォートルスの設計により、街は碁盤の目状に整備され、ガス灯がともり、歩道も整えられた。和服姿の市民が煉瓦造りの洋風建築を眺めながら歩く様子は、まさに文明開化を象徴する風景だった。銀座はこうして、日本の近代化と新しい都市文化の発信地となっていった。

chatGPTによる銀座煉瓦街のイメージ図
1873年(明治6年)
三原と周辺
■三原最初の学校「亦楽舎」開校
三原で初の尋常小学校「亦楽舎(えきらくしゃ)」が開校。もとは三原町奉行の屋敷を校舎として活用し、「大いに楽しみ学ぶ」を意味する名称のもと、地域で初めての公教育の場となる。のちに三原小学校へ改称され、150年以上にわたり続く歴史の原点である
広島県
■賀茂鶴酒造創業
賀茂鶴酒造は、醸造業を営んでいた木村家の四代目・木村和平が創業した。灘で修業した醸造技術を活かし、西条で酒造りを開始。「賀茂鶴」という名は、地元の「賀茂」と吉祥の象徴「鶴」から取り、重陽の節句に命名された。酒造りへの誇りと品質日本一の志が込められている。
情報賀茂鶴酒造

日本
■廃城令
明治政府は「廃城令」を発令し、全国の城郭の多くを軍事施設や行政用途として必要なものを除き、廃止・取り壊しの対象とした。江戸時代の封建制度を象徴する城を整理し、近代国家への転換を進める目的があった。多くの城が破却されたが、一部は県庁舎や学校、公園として再利用された。
■ 弘前城(青森県)
藩主・津軽家の陳情により保存。現存天守を有し、現存十二天守の一つ。石垣修復工事のため、現在は天守が移設中。


■ 松本城(長野県)
住民の保存運動により取り壊しを免れ、天守などが現存。五重六階の現存天守をもつ唯一の平城として国宝に指定。
■ 名古屋城(愛知県)
陸軍の用地として転用され、天守など主要建築も一時残存。1945年の空襲で天守焼失後、1959年に外観復元。
■ 犬山城(愛知県)
廃城後も成瀬家が私有で維持。1959年まで日本最後の個人所有城郭。現存天守として国宝指定。
■ 丸岡城(福井県)
一度は取り壊し対象となったが、天守が残された。現存天守とされるが、1948年の地震で倒壊し、1955年に古材を用いて復元。
■ 彦根城(滋賀県)
明治天皇が巡幸の際に保存を命じ、取り壊しを免れた。現存天守として国宝。櫓や門も多数現存。
■ 二条城(京都府)
明治天皇の行在所として使用され、京都御所の補完的役割も果たしたため、天守はないが御殿などが残存し保存。
■ 姫路城(兵庫県)
兵営として利用されつつ、構造が堅固なため保存。戦災を免れ、現存天守を持つ数少ない城として国宝・世界遺産に指定。


■ 和歌山城(和歌山県)
一部は取り壊されたが、明治期以降も本丸などが保存され、敷地は公園化された。天守は1945年の空襲で焼失。1958年に再建された。
■ 松江城(島根県)
廃城令後も保存され、現存天守として2015年に国宝に再指定。周囲の堀なども良好に残る


■ 備中松山城(岡山県)
現存する唯一の山城天守。一部は取り壊されたが、天守は保存された。高所にあるため戦災を免れた。
■ 岡山城(岡山県)
多くの建物が取り壊されたが、敷地の一部は県庁などに転用。天守は江戸時代からのものが残っていたが、1945年の空襲で焼失。1966年に外観を黒漆塗りで復元。


■ 広島城(広島県)
一部は撤去されたが、敷地は陸軍の施設として活用され、堀や石垣が保存された。天守は1945年の原爆で倒壊。1958年に外観復元された。
■ 福山城(広島県)
多くの建物が破却されたが、伏見櫓と筋鉄御門は現存。天守は1945年の空襲で焼失後、1966年に鉄筋コンクリートで再建。


■ 丸亀城(香川県)
石垣の保存状態がよく、天守も現存。地元の保存活動もあり、遺構が良好に残る。
■松山城(愛媛県)
廃城令後も本丸部分が保存され、天守や櫓群が現存。天守を含む21棟が現存する貴重な城郭で、現存天守12城の一つ。


■ 宇和島城(愛媛県)
天守は現存し、取り壊しを免れた。小規模ながら貴重な江戸期の建築として保存。
■ 高知城(高知県)
本丸御殿を含む多くの建築が残り、廃城令後も保存。本丸が完全に残る唯一の現存天守とされる
■ 熊本城(熊本県)
西南戦争時に軍事拠点として機能し、保存。多くの建築は戦争で焼失するも、石垣などは現存。現在は熊本地震による復元・修復が進行中。
■徴兵令
明治政府は徴兵令を発布し、満20歳以上の男子に兵役義務を課す近代的な国民皆兵制度を導入した。これにより武士に限られていた軍事力が全国民に広がり、士族の特権が崩れた。農民らには「血税一滴」と恐れられ、各地で反対一揆も起きたが、国家の軍事力強化と中央集権化を進める大きな転換点となった。
■地租改正
明治政府は財政安定を目的に年貢制を廃止し、土地の所有者に地価に応じた地租(固定税)を金納で課す制度に改めた。これにより農民は税額が明確になる一方、不作でも納税義務が変わらないため不満が生じ、各地で反対運動が発生。政府にとっては安定した財源を確保する近代的な税制改革となった。
■日本初の銀行「第一国立銀行」設立(現みずほ銀行)
日本初の銀行である第一国立銀行が渋沢栄一らにより東京・兜町に設立された。政府と民間の共同出資による国立銀行制度に基づき、紙幣の発行や金融の安定を目的とした。のちに民営化され、民間銀行の基礎となる存在に。第一銀行は後に合併などを経て、現在のみずほ銀行の前身の一つとなる。
■函館~青森定期航路就航
函館~青森間で日本初の官営定期航路が開設された。これは明治政府が設立した開拓使の事業で、北海道と本州を結ぶ重要な交通手段として運航が始まった。この航路はのちの青函連絡船の原型ともいえる。
1872年(明治5年)
日本
■日本初の鉄道開業(新橋~横浜)
日本初の鉄道が東京の新橋~横浜(現在の桜木町)間に開業。全長約29kmで、蒸気機関車が走り、所要時間は約53分だった(現在、各駅で約40分)。イギリスの技術と支援を受けて建設され、明治政府が主導。近代化の象徴として注目を集め、国内の交通や物流、経済発展に大きな影響を与える画期的な出来事となった。
■学問のすすめ(福沢諭吉)
福沢諭吉が著した『学問のすゝめ』の初編が出版された。「天は人の上に人を造らず」という言葉で始まり、学問を通じて身分や貧富に関係なく自立すべきだと説いた。読みやすい文体で広く読まれ、全17編が刊行されるなど明治初期のベストセラーとなり、近代日本における教育と啓蒙の礎を築いた。
世界
■世界初の国立公園「イエローストーン国立公園」設立
アメリカ合衆国で「イエローストーン国立公園」が設立され、世界初の国立公園となった。ワイオミング州などにまたがる広大な地域で、間欠泉、温泉、滝、野生動物など豊かな自然が保護の対象となった。政府が自然保護のために特定の地域を法的に守るという画期的な制度で、以後の世界各国の国立公園制度のモデルとなった。
情報日本の国立公園(環境省)
1871年(明治4年)
日本
■廃藩置県
明治政府は全国の藩を廃止して「県」に改める廃藩置県を断行した。もともとあった約300の藩は、まず3府302県に再編され、同年中に統合が進み、最終的に3府72県となった。藩主は東京へ移され、中央から派遣された県令が統治する体制へと変わり、中央集権国家への大きな一歩となった。なお、最終的に現在の47都道府県となるのは1888年である。
情報府県の変遷(イッシーのホームページ)
世界
■ドイツ帝国成立
プロイセンという国を中心に、いくつかのドイツの国がまとまり、「ドイツ帝国」が誕生した。プロイセンは現在のドイツ北東部にあった強い軍隊と優れた政治力を持つ国で、ドイツ統一の中心的な役割を果たした。きっかけはフランスとの戦争(普仏戦争)にプロイセンが勝ったことで、フランスのベルサイユ宮殿で皇帝即位が宣言され、ドイツはヨーロッパの強国となった。
1869年(明治2年)
日本
■戊辰戦争の終結(五稜郭の戦い)
北海道・函館の五稜郭で戊辰戦争の最後の戦いが行われた。旧幕府軍の一部は榎本武揚らに率いられ、蝦夷地に「蝦夷共和国」を建てて抗戦したが、新政府軍の攻勢により劣勢となり、5月に五稜郭が開城。これにより戊辰戦争は終結し、明治新政府による全国統一が実現した。
世界
■スエズ運河開通
エジプトのスエズ運河が開通し、地中海と紅海が結ばれた。当初の運河の所有・運営は、フランスとエジプトの共同出資によるスエズ運河会社が担っており、全長約160km。ヨーロッパとアジアを結ぶ航路が大幅に短縮され、国際貿易の流れが一変した。特にイギリスにとってはインドへの航路が劇的に短くなり、戦略的にも極めて重要な水路となった。
1868年(明治元年)
広島県
■亀齢酒造創業
東広島市西条にて、亀齢酒造(きれいしゅぞう)が創業。西条の良質な水と気候、優れた杜氏の技術を活かして発展。「亀齢酒造」という社名の由来は「鶴は千年、亀は万年」ということで、お酒を口にした人の長寿と永遠の繁栄を願って付けられた。
情報亀齢酒造

日本
■戊辰戦争の始まり(鳥羽伏見の戦い)
幕府が政権を朝廷に返す「大政奉還」が行われたが、旧幕府と新政府の対立は続いており、旧幕府側は主導権を取り戻すため、1月に政治の中心であった京都に兵を進めたことで、新政府軍との衝突が発生し、鳥羽・伏見で戊辰戦争が始まった。
■明治に改元
9月、天皇を中心とする新政府は近代国家を目指し、元号を「明治」に改元。明治天皇(睦仁〈むつひと〉)が即位し、『易経』の「聖人南面して天下を聴き、明にむかいて治む」に由来し、「明らかに治める」の意味が込められている。
三原と周辺では、初等教育の開始や福山中学の創設、銀行の設立などを通じて近代化が進み、地域社会の基盤が整った。行政区画も整備され、備後地方が広島県に編入されたことで、現在の県域がほぼ確定した。
広島県では、都市や産業の近代化が進み、広島市の市制施行、呉鎮守府や宇品港の整備により軍港都市としての基礎が築かれた。酒造業や乳業の創業、ハワイ移民の開始など、生活・経済両面で変革の時代となった。
日本全体では、戊辰戦争を経て中央集権体制を確立し、文明開化の中で憲法制定・内閣制度の創設など政治体制を近代化。鉄道・教育・軍制・税制など制度改革が進み、西洋化と伝統の葛藤の中で近代国家への基盤が整えられた。
世界では、列強は帝国主義を進め、アフリカ分割やドイツ帝国成立、スエズ運河開通などが起きた。エッフェル塔や自由の女神の建造など象徴的建築も生まれ、三国同盟など国際関係も緊張化。一方、国立公園の設立など近代的価値観も広がった。
次は江戸時代の約260年間を遡っていきたいと思います。
このページの年表情報等は全てインターネット検索やチャットGPTで調べた情報ですので、一部間違えている情報もあるかもしれませんので、その辺はご了承ください。
\遡る年表シリーズ一覧/
① | 平成編 2010→1990年代 |
② | 戦後の昭和編 1980年代→1946年 |
③ | 昭和初期・大正編 1945→1912年 |
④ | 明治編 1911→1868年 |
⑤ | 江戸時代編[予定] |
⑥ | 戦国時代編[予定] |
⑦ | 室町・鎌倉時代編[予定] |
⑧ | 平安・奈良時代編[予定] |
⑨ | 飛鳥~縄文時代編[予定] |